「考えるより感じよう」

自分にとって大切な、自分の「本音」。

自分の「本音」はその都度変わることはあっても、絶対に他人のそれと完全一致することはなく、代わりは効かないもの。

普段はなかなか意識はしないけれど、ふとしたキッカケ気づくことがある心の声。

不本意ながら、 ストレス状態にさらされると、逆に気づけることが多い。

でも、せっかく気づいてたとしても、なんとなく流してしまったり、 自分で自分を否定することにつながると、スッキリしない。モヤモヤする。

自分はどうしたいのか?

何が好きなのか?

何が喜びなのか?

本来やりたいことは?

その目的や動機はなんだったのか?

それをわかっているようで、聞かれてもすぐには言えない自分がいる。

日常の雑事に追われていると、自分の気持ちや貫きたい志を、半ば誤魔化すことで、何とか対処していることも多い。

でも、そこで勇気を持って、心の声を聴けるようになると、結果あまり迷わなくなるのも確か。

どんなにややこしいと思える問題も1番深くの本音に気づけたら、解決に向かうもの。

問題解決を先伸ばしにする1つの理由に、優柔不断が上げられると思う。それをすればよいとわかっているけれど、出来ないとか。

それは、思考より感情が優位なままだと、なかなか冷静に考えられなかったり、気持ちや思考も複雑に絡まったままでは、現状把握も難しいから。

そんな状態でこれからどうしたらよいか?対策を考えたり、明るい未来の予測も難しい。

そこで、今何が起きているのか?

その現実に対して、感じていることや、思い、考え、を把握し、まとめておくと、不安や緊張の糸もほどけ、自然と前に進めるような状況が整う。

記録をつけていると、対策も打ち出しやすい。

それについては、またの機会に改めて紹介したいと思います。

、、、社会に生きる私達のほとんどが、

幼少期から次にすることがはっきりと決められている環境の中にいる。

教育として中学校まで行くのは義務。

その後もそれぞれ高校、そして受験をして大学や専門学校に行き、就職活動をする。

海外でいうギャップイヤーのような1年間も日本にないわけではないけれど、

就職活動やインターンシップに費やされたり、ほとんどないに等しいし。

そして女性は結婚、育児、社会復帰と、それこそ追われるように人生を歩いていく。走っていくとも言えるかもしれない。 もちろん、それについて学べる機会もないまま、命を育み、育てなければならない状況。

それは各家庭で運営していくの当たり前のようになっているが、そもそも教えられていないことを、それも母親がほとんど一人で上手く進めていくというのは、無理があるのではないか?と感じることもある。

そんな慌ただしい日々の中で、自分の心の声に耳をすませる時間がないのは、仕方ないのかもしれない。

本当は、自分の言葉になる前の本音が聴こえるのは自然なこと。

赤ちゃんや小さい子供の頃は感じたことの表し方がストレート。

なのにいつしか、どうやって心の声を聴くのかも忘れてしまう。

だから、自分の本音がわかれば、自分にとっての真実を見抜ける力を取り戻せると聞いても、どうやって?となる。

ただ、本音や真実といっても、万人がイエスというより、あなたにとって大切なこと、ということ。

自分の本音を知る為には、1つの理論だとかマニュアルにこだわるとか、 頭や言葉だけを使って何とかしようとしても、難しいかもしれない。

もしそれが何とか出来る方法が確立されているのであれば、世の中にメソッドが溢れ続ける理由がつかない。

もしあったとしても、感覚的で説明できないとか、わかりにくいとか、高額すぎるから、難解だから敷居が高いとか、公開されていないとか色々あるのでしょう。

それにしても、人にとっての真実は別なのだから、真実を気づく方法も、メソッドも星の数ほどあって当然なのかもしれない。

だからと言って、0から自分で対策を考えるように言われても、それも難しい。

だから、ある程度解明や解決の指針となるものは利用したらよいと思う。

それを利用する場合も、良いか悪いか、好きか嫌いか、自分にとって有効か無効か考えながら、判断するしかないと思う。

それを取り入れて実行するには、自分の道徳心や感性に合うかなども考慮するのは大切。

結局、理論がどうかと頭で考えて、これがいいという「直感」で選ぶ場合が多いと思う。

直感に従う=心を開くというのは、

「五感を研ぎ澄ます」

「感じることに集中する」

とも言える。

五感を通して自分の心の声が聴こえるようになると、自分は何が気にいらなかったのか?というようなことから、逆に何が好きなのか、人にとってではなく、自分にとって何が大切か、必要か、本当は何をしたいのか、更には人生をかけて何をしたいのか、が見えてくる。

頭でなく、心で感じながら自分の本音を見ると、歓喜が芽生える。

1つの事柄に対して、五感でフルに集中することで感性が震え、自分が自分を理解している安心感に包まれるというか。

心が洗われて無心になれることも。

「自我」を超えて、「無我の境地」に行き着くことにもつながる。

見失った「自分の本音探し」から「自我を超えた本音」へとシフトすると言ったらよいか。

その「本音」と「自我を超えた本音」が合ったときに、迷いはなくなると感じる。

それを実現、持続するのはなかなか難しいかもしれないけれど。

それでも、1秒でもその瞬間を味わい、その瞬間を重ねていくことを目指したい。

自分の唯一絶対の人生の羅針盤はあなたの中にある。

そして、その羅針盤を手に入れるために、感度を上げるためにも、五感に刺激を与え、そのものをフルに感じることが大切。

生きていることを実感、体験出来る機会を、意識して持ち続けるということ。

生きたもの=今=リアルに接していくということ。

リアルを体験していくということ。

架空の世界と共存しながらも、手で触れる世界、感じることが出来る世界で生きようということ。

その上で、自分の内面を見つめ、本音を見つけ続けること。

五感に響く見方をしていくこと。

いつも心が震える感動や感性を忘れず、その瞬間を逃さないようにしていたい。

「考えるより感じよう」というのは、

「感情や歓喜はあなたの羅針盤」 だから。

せっかく尊い命を抱いて、この「美しい地球」に生きているのに、感性を閉じて、この世界の半分も見えないような生き方をするのも、このまま何もせずにつまらないと感じているままなのも、もったいないと思うから。

「考えるより感じよう」

ゆかりん's  哲学&心理学 研究所

ゆかりんが心理学の観点から、独自の哲学を展開する部屋。 人はそのままで尊重されるべき存在。 不完全な自分を受容しつつ生きつつ同時に崇高な自我も実現していくことを目指す。